あれから9年の歳月が流れた。あの日を境に、私以外にも多くの人々が、「3.11」を起点とし、「それ以前」と「それ以後」の世界に考えを巡らせることが多いのではないだろうか。それは、私たちにとって「8.15」がけっして忘れて風化させてはならない歴史のポイント地点であるのと同様に、「3.11」が社会や個人へ与えた影響は甚大であった。そして、2020年3月11日現在。今度は、所謂「コロナウイルス」と呼ばれる世界規模の感染症によって、我々は再び試練の時を迎えている。折しも重なる試練の時に、私が感じていることを記しておきたい。
2011年3月11日。私は卒入学式、歓送迎会などのイベント時期を迎えた繁忙期のサロンで、まだアシスタントとして慌ただしい一日を過ごしていた。その日はオープン開始から忙しく、地震発生時の14時46分には、すでにサロンはお客様で一杯の満席状態であった。これまで経験したこともない揺れを経験し、一時は施術途中のお客様全員をサロンの外へ避難していただくという不測の事態に陥ったが、パーマや縮毛矯正を途中で止めるわけにもいかず、その日は外の状況もよく把握できぬまま、一日のサロン業務を終えた。
当時、スマホやSNSの普及率も今とは比べ物にならず、地震でインターネット回線も遮断された状態であった為、営業終了後、青山通りに溢れかえる徒歩で帰路へ向かう群衆と、帰宅後にテレビをつけて漸く把握した津波による大被害を目にするまでは、起きている事を正確に把握する事すら容易ではなかった。そして、その日以後起こった福島原発の爆発事故や計画停電による営業短縮などの一連の騒動は、将来を不安にさせるもの以外のなにものでもなく、この世の終わりすら予感させると言っても大げさではなかった。当然、廃業や倒産を伴うようなことも覚悟しなければならない事態であった。
ところが、他の業界などと比較し、美容室へ及んだ影響は比較的小さなものであった。社会が動揺を来そうとも、人間はお腹も空くし、髪も伸びる。お腹であれば、外食から家庭へと代替可能であるが、髪はそう簡単にはいかない。特に、女性はそうだ。リーマンショックの時もそうであったが、美容業は相対的に社会的ショックや不況下においても、基盤さえしっかりしていれば強い業種であるということ実感した。そして、そのことは現下のコロナウイルスの影響についても同様であり、基盤さえしっかりしていればショックに強い業種であるということを再確認する日々である。事実、他の業種の売上が軒並み前年割れを起こす中、美容室におけるその影響は今のところそれほど深刻なものではない。
では、基盤とはなんであろうか。それは、とりわけ地域であり、家庭であり、友人や知人、所属してきた組織の先輩後輩、長く通って下さる顧客であるといった長い年月を積み重ねて築き上げてきた紐帯の事を指している。これらをアナログの紐帯と呼ぶならば、インターネット広告やSNS、インバウンド、それから価格競争がもたらす紐帯はデジタル技術の進化に起因するデジタルの紐帯であると定義することが出来、アナログの紐帯と対置することができる。言うまでもなく、デジタルの進化は速く、「3.11」と比較してインスタグラムや「今すぐ行ける美容室」を標榜とするホットペッパービューティーが作り上げる繋がりは、格段の拡がりを見せている。だが、非常に便利ではあるデジタルの紐帯は、ショックに弱いという脆弱性を孕んでいる。
私は、デジタルの進化を否定まではしないが、アナログの紐帯を強く太くしていくことが美容室の最大の強みであり、そのことを軽視してはならないという想いを、今日改めて強く感じている。どれだけデジタル技術が進化しようとも、人間が本能的に考えたり、求めたりすることはあまり変わらないのではないか。危機の時代に、我々はその意味を深く掘り下げて考察する必要がある。デジタルの進化が人間の思考を退化させるものであってはならない。「3.11」という特別な日に、私はそのようなことを考えている。