ドイツのメルケル首相は、3月18日のテレビ演説において、現下の状況が、「ドイツ統一、いや、第二次世界大戦以来の危機」であり、政府の対策について広く国民に連帯を求め語りかけた。とりわけ東ドイツ出身のメルケル首相の民主主義のあらゆる自由は勝ち取られて得た権利であり、権力によってそれらに制限をかける事は抑制的でなければならないが、正当な理由があれば行使せざるを得ないことに理解を求めた内容は、強い説得力をもたらした。その後、ウイルス蔓延の現状と対策、最前線で働く人々への深い感謝、そして「我が国は民主主義国家です。私たちの活力の源は強制ではなく、知識の共有と参加です。現在直面しているのは、まさに歴史的課題であり、結束してはじめて乗り越えていけるのです。」と民主主義の重要性を説き、更なる結束を国民に直接自らの言葉によって呼びかけた(ドイツ連邦共和国大使館HPより引用)。
もし、日本国の政治リーダーが、役人の用意した原稿を読み上げるだけでなく、自らの言葉でメルケル首相のような言葉を発することが出来たならば、事態はどう変わっていたであろうか。少なくとも、美容業を「国民生活を維持するうえで必要な施設」と定義するのであれば、国と都で違った見解の理由を明らかにし、現場で営業を続ける事になる人々への理解と損害が出た場合の補償内容などを丁寧に説明していれば、現場の無用な分断は避けられたのではないだろうか。ドイツの例に限らず、今回のコロナ対策において各国の政治リーダーの資質、私的権限の制約、補償内容などにおいて、国柄の違いの多くが露見されることとなった。平時には実感することが少ない、政治の重要性を多くの人が気づかされたのではないだろうか。
コロナ関連の倒産数を見てみると、突出して多いのは「宿泊・飲食業」であるというデータが、東京商工リサーチの調べで明らかとなっている(共同通信 5月5日)。数カ月前まで、「おもてなしでオリンピックを成功させよう」「観光立国を目指して多くのインバウンドを」などと呼びかけ、政治はサービス業を持ち上げてきた割に、補償対応の愚鈍さに絶句する意外にない。株価を支える為に異次元の金融緩和を異例の政策として推し進めていた対応とは、あまりに対照的ではないだろうか。
SNSなどで過激な発言を続けるホリエモン氏は、YouTubeでの対談において、飲食業界が売上規模の割に、業界自体のまとまりがなく、政治に有効なロビー活動をできていない点を指摘している(YouTubeチャンネル「堀江貴文 ホリエモン コロナ危機に苦しむ飲食店の現状をスシロー社長と語る」)。これは、そのまま美容業にも当てはまる。美容業は、全国に25万件もあるとされるが、美容組合などの組織率の低下は著しく、飲食同様、業界を束ねて政治にモノ申すような団体は少ない。この時代に及んで労働組合と言う訳にはいかないが、美容に携わるメーカーやディーラー、サロン、エステやネイルサロンなども巻き込んだ関連業種は連帯して、政治へ牽制球を投げかけるようなグループを創出していく必要があるだろう。そうでなければ、今後も同じ悲劇を繰り返すことが予見される。
最後に伊丹万作の言葉を引いておきたい。映画監督、伊丹十三の父・伊丹万作は「戦争責任者の責任」というエッセイの中で、日本人は戦争について国に騙されていたとされるが、だまされること自体が一つの悪であると、喝破したそうだ(映画春秋 1946年4月号)。
つまり、民主主義には国民一人ひとりの主体性と自立思考を伴わなければならず、けっして受け身であってはならないという意味である。その意味において、現在の政治の混迷は民主主義において選択した国民にある。様々な流言飛語、興味本位に人々の不安を煽り立てるメディアに踊らされることなく、しっかりと物事を自分の問題に引き寄せて考えることができるのか。これは、とりわけ美容や飲食などサービス業に携わる人々全般に指摘できる大きな課題であるように現場にいる私自身は強く感じる。その道程は、強い美容業、強いサービス業、強い社会を目指す、一里塚に他ならない。メルケル首相の言葉を羨ましく、眺めている時ではない。