2020年4月からサロンのトリートメントメニューをリニューアルし、新たな料金体系と共に、内容もこれまで試作を重ねてきた工程を踏まえ、大幅に変更する予定だ。ここまで大幅に内容を刷新するのは、私の記憶では約10年振りであり、どのような反応が起こるか正直なところ自信と不安が交差している。
10年前のリニューアル当時、私はまだアシスタントであったが、サロンで使用する薬剤や商品の仕入れなどを担当する「材料係」という立場で国内外の様々な美容メーカーの薬剤を比較検証し、最先端の美容情報を常にキャッチする職務を担っていた。
その任は、当時の私にとってとてもやりがいを感じるものであった。なぜなら、技術は経験が重要な要素となるが、知識は経験に関わらず学ぶか学ばないかが重要で、職人的気質が価値観の大半を占めている美容業界では、どうしても学ぶことを軽視し、経験を重視する傾向があり、学ぼうとしない人が多かったからである。
私は、実家が美容室であったということもあり、大学と美容学校の通信教育をダブルスクールという形で通い、一応美容師免許を取得した上でサロンに就職はしていたが、実際はペーパードライバーのようなもので、殆ど素人同然で美容師のキャリアをスタートした。そのような背景から、どうしても技術的には他の同年代と比較して、遅れているという状態であった。だが、薬剤や美容情報を勉強することに関しては、キャリアは関係なく、学ぶか学ばないかという世界であり、技術で遅れている部分を知識で補うというのが、ひとつの大きなモチベーションになっていた。
当時、サロンのトリートメントメニューというのは、大手美容メーカーのマニュアルそのままといった内容で、現在では悪評が定着しつつあるシリコーンをたっぷりと髪に貼り付け、質感を重くするといった内容のものが人気であり主流であった。しかし、そのような内容に疑問すら感じることもなく、美容メーカーに言われるがまま、そっくりそのままメニュー提案する在り方は、様々な知識を吸収し、新しいものを創出しようと試みる私にとってはとても退屈なものであったし、所詮、この種の業界で発せられるアートやクリエイションはこの程度のものか、と言ったような嘲笑と諦念をすでに抱いていた。まして、大学でメディアリテラシーや、批判することの重要性を学んできていたため、なおさらであった。当然、アシスタントの立場ながら、自らが検証し良いと思うメニューや商材の導入を提案していく度に、私は先輩からは疎んじられ、孤立を深めていった。
そのような中でも、自らの意思を通し、反発に抗いながら、周囲と合意形成することで最新の美容機器やこだわりの商材を導入し、10年前のトリートメントメニューは完成された。そして、今では、私の事を疎んじ、冷遇してきた先輩も去り、今回のリニューアルは、大きな反発もなく遂行することができた。
だか、私はこの流れに正直なところ、物足りなさと不安を感じている。
かつて明治の文豪、夏目漱石は日本の文明開化について、「内発」としての文明開化ではなく「外発」としての文明開化であり、そのようなものは上滑りの近代化であって、本質的な近代化ではないと喝破したが、まさに慧眼であった。そのテーマは、現代にも至る所に通じている。
思うに、教えるというのは、suggestionであり、上意下達のことではない。学ぶというのは、学ぶ側が批判検証する心を持っていなければ、本当の意味で学んだことにはならない。その意味において、我々は本当にヘアケアの進化に向き合っているのか。漱石の警句は、鋭くて重い。