今、日本中の、いや世界中の人々が新型コロナウイルス感染症蔓延防止対策の為、自粛生活を余儀なくされている。このような体験は恐らく個人の一生涯において一度経験するかしないかと言っても過言ではなく、私の半生を顧みてもこれだけ多くの時間を半ば強制的に「自粛」を強いられた記憶はない。あらゆる事が統制され、まるで疑似的に戦時下の生活を体験しているかのようだ。仕事も外出もままならず、多くの人々にとってこれだけ多くの時間を他の人と接触せずに過ごさなければいけない生活は、ある意味戦時下同様の統制であり、必然的に本や映画に向き合う機会を与えることとなった。社会人となり、美容師という職業に就いた宿命か、これほどまで個人の時間を自由に使える経験は、恐らくこの先の人生においても稀有な機会であり、自らの立ち位置を再確認する上でも重要な時間となった。私は、この稀有な機会を、本と映画に費やすことが多くなった。
司馬遼太郎の代表作『坂の上の雲』は、大学卒業年次の最後に読了した長編小説として特別思い入れのある作品であった。日露戦争の命運を決定的にした日本海海戦の舞台となったのは私の郷里、福岡県宗像市からも遠くない対馬沖であり、2017年に世界遺産に登録され有名となった沖ノ島からは、なんと日本海海戦の様子を目視できたという記録も残っており、宗像大社沖津宮(沖ノ島にあり、沖ノ島は宗像大社の神領とされる)の神職、宗像氏が日本海海戦へ挑むために航海するロシアのバルチック艦隊を目撃したというシーンが小説『坂の上の雲』でも紹介されている。そんなことを予想もしていなかった私は、大きな驚きを持ってその記述を受け止めたことを覚えている。時代小説、とりわけ幕末以降を題材とする時代小説のひとつの醍醐味は、舞台となった現地を訪れた時、当時の情景や息遣い、足音といったような雰囲気を空想かもしれないが、なにか身近に体感することが出来る事である。それは、1999年に94歳でこの世を去った明治生まれの祖母が生きた時代と重なり合うことが、大きな要因となっているのかもしれない。曾祖父母まで遡れば、明治維新も日露戦争も小説の中の遠い出来事ではない。作品の登場人物である秋山兄弟、東郷平八郎、乃木希典、夏目漱石まで、ぐっと身近な存在としてイメージできるのである。
また、宗像市の隣、福津市には連合艦隊司令長官であった東郷平八郎を祀神とする東郷神社もあり、この神社近くで学生時代に同級生とバーベキューを催した際に、境内に大砲が鎮座していたことを覚えているが、後で調べてみると連合艦隊の主力艦「三笠」の大砲とのことだ。そんなこともあり、私にとって『坂の上の雲』は、司馬氏の数ある作品の中でも特別思い入れのある作品となった―。